10月29日(日)
「わしらの村に水が来たー!」
の劇が無事に終わりました。
※最後のシーン(24名全員が舞台に立ち、用水から水が流れた場面)
今、私の心は達成感でいっぱいです。
昨夜は疲れてしまい、夜の打ち上げから帰って来た後はバタンキューで寝てしまいました。
朝、目が覚めて色々な感動がよみがえり、少し涙が出てしまいました。
今更ですか、この劇に参加させてもらって、「良かった!」と心からそう思えます。
小学校の体育館は、ほぼ満員に近い状態にお客さんも来て頂きました。
この話が持ち上がったのが今年の4月。
秋頃になるなら、時間もそう無いし早く始めなければ、、、という事で本格的に練習が始まったのが6月初め。五ヶ月しかありません。
劇の練習は毎週月曜日の19時から21時30分まで。でもほぼ22時までかかる事もあります。
仕事を退職した者も居れば、現役の方も子ども達も居ます。
正直、後半は家にいる者でもだんだん疲れが出て来て、口にこそ出しませんが
(しんどいなぁ、早く終われば良いのに)って思っていたと思います。特に今年の夏は暑かったからなぁ。
でも今は、本当に自分勝手な私ですが、全ての事に対して素直に心から感謝しています。
脚本、演出をして下さった先生に、
そして、劇に参加してくれた子どもたちを含む全員(24名)に。
また、支えて下さった音響、照明、大道具、小道具、着物の着付け、化粧、アナウスなどなどのスタッフさん(16名)に
感謝します。
手作りとはいえ、背景から小物、衣装(カツラ、着物、草履、小道具などなど、、、)どれ一つ欠けてもこの劇は達成出来なかったと思っています。
※第一幕、、野良仕事をするお百姓さん家族と手伝う子ども達
(豆や芋しか出来ず、それでも食べられるだけ幸せ、と話すおっ母。でも一度で良いから白い米の飯を腹一杯食ってみたい、子ども等にも食わせてやりたい、と言うおっ父。)
※村の人たち
(広い土地はあっても、大川は下の方を流れ水が取り入れられない。何とか水が来ないかなぁと思案する人達。無理なものは無理やで考えるだけ無駄やという者。)
私が子どもの頃から、
田んぼ周りは当たり前のように用水が流れ、当たり前のように田植えをし、当たり前のように秋には稲刈りをしていました。
今年のように猛暑が続き雨が降らない夏でも、家の近くの細い用水は途切れる事なく水が流れて来ます。
いつでも好きな時に、田んぼに水を引くことが出来ます。
それは全て「当たり前」では無いンだ、と言う事に改めて気づかされました。
荒地に田んぼが出来、米が作れる様にしてくれた西村彦左衛門さん、苦労して仕事をする当時の村の人々に「感謝」の気持ちが沸々と湧いて来ました。
私は8年前の2015年に、初めてこの劇に出会いましたが、この時は男性が少なく庄屋さんを演じました。
(本当は、百姓のおかみになりたかったのだけどネ)
その時は感情移入が出来なくて、心の中では(早く終われ、、早く終われ)って願ってました(ハイ、全く不誠実な私です)
この話が舞い込んできた時は、「今更、、、またこの劇を?」と言う気持ちと、私を含め皆んな歳を取ってセリフが覚えられる?と言う不安が正直ありました。
(続く、、、?)