cherusi-kitchenの日記

日々の生活に流されて、美しいもの感動したものを忘れ去る自分の為に書き留めておこうと始めました。その時々の季節の移り変わり、また自分の心の移り変わりも書き留めたいと思っていますf:id:cherusi-kitchen:20160309033342j:plain

達成感!

10月29日(日)

「わしらの村に水が来たー!」

の劇が無事に終わりました。

※最後のシーン(24名全員が舞台に立ち、用水から水が流れた場面)

 

今、私の心は達成感でいっぱいです。

昨夜は疲れてしまい、夜の打ち上げから帰って来た後はバタンキューで寝てしまいました。

 

 朝、目が覚めて色々な感動がよみがえり、少し涙が出てしまいました。 

今更ですか、この劇に参加させてもらって、「良かった!」と心からそう思えます。

 

小学校の体育館は、ほぼ満員に近い状態にお客さんも来て頂きました。

 

この話が持ち上がったのが今年の4月。

秋頃になるなら、時間もそう無いし早く始めなければ、、、という事で本格的に練習が始まったのが6月初め。五ヶ月しかありません。

 

劇の練習は毎週月曜日の19時から21時30分まで。でもほぼ22時までかかる事もあります。

仕事を退職した者も居れば、現役の方も子ども達も居ます。

正直、後半は家にいる者でもだんだん疲れが出て来て、口にこそ出しませんが

(しんどいなぁ、早く終われば良いのに)って思っていたと思います。特に今年の夏は暑かったからなぁ。

 

でも今は、本当に自分勝手な私ですが、全ての事に対して素直に心から感謝しています。

 

脚本、演出をして下さった先生に、

そして、劇に参加してくれた子どもたちを含む全員(24名)に。

また、支えて下さった音響、照明、大道具、小道具、着物の着付け、化粧、アナウスなどなどのスタッフさん(16名)に

感謝します。

手作りとはいえ、背景から小物、衣装(カツラ、着物、草履、小道具などなど、、、)どれ一つ欠けてもこの劇は達成出来なかったと思っています。

※第一幕、、野良仕事をするお百姓さん家族と手伝う子ども達

(豆や芋しか出来ず、それでも食べられるだけ幸せ、と話すおっ母。でも一度で良いから白い米の飯を腹一杯食ってみたい、子ども等にも食わせてやりたい、と言うおっ父。)

 

※村の人たち

(広い土地はあっても、大川は下の方を流れ水が取り入れられない。何とか水が来ないかなぁと思案する人達。無理なものは無理やで考えるだけ無駄やという者。)

 

私が子どもの頃から、

田んぼ周りは当たり前のように用水が流れ、当たり前のように田植えをし、当たり前のように秋には稲刈りをしていました。

 

今年のように猛暑が続き雨が降らない夏でも、家の近くの細い用水は途切れる事なく水が流れて来ます。

いつでも好きな時に、田んぼに水を引くことが出来ます。

 それは全て「当たり前」では無いンだ、と言う事に改めて気づかされました。

 

 荒地に田んぼが出来、米が作れる様にしてくれた西村彦左衛門さん、苦労して仕事をする当時の村の人々に「感謝」の気持ちが沸々と湧いて来ました。

 

私は8年前の2015年に、初めてこの劇に出会いましたが、この時は男性が少なく庄屋さんを演じました。

(本当は、百姓のおかみになりたかったのだけどネ)

その時は感情移入が出来なくて、心の中では(早く終われ、、早く終われ)って願ってました(ハイ、全く不誠実な私です)

 

この話が舞い込んできた時は、「今更、、、またこの劇を?」と言う気持ちと、私を含め皆んな歳を取ってセリフが覚えられる?と言う不安が正直ありました。

 

(続く、、、?)