cherusi-kitchenの日記

日々の生活に流されて、美しいもの感動したものを忘れ去る自分の為に書き留めておこうと始めました。その時々の季節の移り変わり、また自分の心の移り変わりも書き留めたいと思っていますf:id:cherusi-kitchen:20160309033342j:plain

心に引っかかる事(母屋が壊された時)

 子ども達がまだ小学生だった頃、私達家族5人は実家の裏庭の「離れ」に住んでいた。

そこが手狭になり、

当時築160年の本宅を取り壊して、新しい家に建て替えてから30年とちょっと経ってしまった。

 

あっという間の30年。

 

とにかく毎日が子育てと仕事で、目の回るような忙しさ。

どうやって乗り越えて来られたのか、

思い出せないくらい心の余裕も無く、半端なく忙しかった。

 

でも、なんで乗り越える事が出来たかは、やはり子ども達3人を観ていてくれた父母の協力があったから。

最近、つくづくそう感じます。

 

だから、当時の私は父と母の言う事は絶対で、あまり反論出来なかったのです。

そのモヤモヤは、大人になってもずっと続いていたんだ。

 

「今の離れは狭いので、新しい家を建てたい、、、」

「以前、お母さんが言ってたように、倉庫横の小さい田んぼを整地して、そこに建てようか、、、」

そんな話をした時、

母が「いっそうのこと、母屋を壊してそこに建てたら?」

突然の話の展開に、私は正直びっくりした。

なんで?

そんなつもり、全然ないのに。

その時、多分父は賛成しなかったと思う。

それに、

私なんかが築160年以上の母屋を取り壊し、新しい今風の家を建てて良いのかって正直怖かった。

 

家が取り壊される日、

東の端の部屋がまず重機で潰された。

あっという間だった。

でも、家の真ん中、、、

欅の大黒柱は大型の重機で、どんなに押しても引いても倒れなかった。

見ていた私は涙が出た。

「もう止めて!」って叫んでしまいそうだった。

百何十年も家族を守ってくれたのに。

 

隣で見ていた父も同じ気持ちだっただろう。ただ黙って見つめていた。

 

私は本当に胸が痛かった、、、。

私は母に「辛いなぁ」って言ったと思うけど、

母は「そうかな、、、新しい家は楽しみやで。それに外からは見えへんけど、屋根の下は結構痛んでるからなぁ」って。

私は意外な母の返事に少し戸惑った記憶が残っている。

 

結局、大黒柱は重機では倒れなくて、チェンソーで切られたんだ

 

今でも思い出すと、、、痛くて辛い。

 

歳のせいかなぁ、

最近、昔の事が思い出される。

 

当時の私の頭がもっと柔らかだったら、

きっと壊すのではなく、欅の太い柱も鴨居も磨かれて、お洒落にリノベーションされ素敵な家に生まれ変わってたかもって、、、

ふっと思ってしまう。

 

ただあの頃は、忙しすぎて何も考えたく無かったんだ。

頭がだんだん下がって来て、周りが見えなくなっていた。

 

今は分かる

落ち込んでしまっても、時々は意図して頭を上に起こし、

周りを見回す余裕を持たなければ

いけないなぁって

さて、

新築だった家も、30年ちょっと経つともう立派な中古物件(😅)

その家のキッチンのリフォームが、昨日やっと終わった。

 

新しくなったキッチン。

料理は食べるのも作るのも大好きなので❤️

やっとワクワクしてきました