子ども達がまだ小学生だった頃、私達家族5人は実家の裏庭の「離れ」に住んでいた。
そこが手狭になり、
当時築160年の本宅を取り壊して、新しい家に建て替えてから30年とちょっと経ってしまった。
あっという間の30年。
とにかく毎日が子育てと仕事で、目の回るような忙しさ。
どうやって乗り越えて来られたのか、
思い出せないくらい心の余裕も無く、半端なく忙しかった。
でも、なんで乗り越える事が出来たかは、やはり子ども達3人を観ていてくれた父母の協力があったから。
最近、つくづくそう感じます。
だから、当時の私は父と母の言う事は絶対で、あまり反論出来なかったのです。
そのモヤモヤは、大人になってもずっと続いていたんだ。
「今の離れは狭いので、新しい家を建てたい、、、」
「以前、お母さんが言ってたように、倉庫横の小さい田んぼを整地して、そこに建てようか、、、」
そんな話をした時、
母が「いっそうのこと、母屋を壊してそこに建てたら?」
突然の話の展開に、私は正直びっくりした。
なんで?
そんなつもり、全然ないのに。
その時、多分父は賛成しなかったと思う。
それに、
私なんかが築160年以上の母屋を取り壊し、新しい今風の家を建てて良いのかって正直怖かった。
家が取り壊される日、
東の端の部屋がまず重機で潰された。
あっという間だった。
でも、家の真ん中、、、
欅の大黒柱は大型の重機で、どんなに押しても引いても倒れなかった。
見ていた私は涙が出た。
「もう止めて!」って叫んでしまいそうだった。
百何十年も家族を守ってくれたのに。
隣で見ていた父も同じ気持ちだっただろう。ただ黙って見つめていた。
私は本当に胸が痛かった、、、。
私は母に「辛いなぁ」って言ったと思うけど、
母は「そうかな、、、新しい家は楽しみやで。それに外からは見えへんけど、屋根の下は結構痛んでるからなぁ」って。
私は意外な母の返事に少し戸惑った記憶が残っている。
結局、大黒柱は重機では倒れなくて、チェンソーで切られたんだ
今でも思い出すと、、、痛くて辛い。
歳のせいかなぁ、
最近、昔の事が思い出される。
当時の私の頭がもっと柔らかだったら、
きっと壊すのではなく、欅の太い柱も鴨居も磨かれて、お洒落にリノベーションされ素敵な家に生まれ変わってたかもって、、、
ふっと思ってしまう。
ただあの頃は、忙しすぎて何も考えたく無かったんだ。
頭がだんだん下がって来て、周りが見えなくなっていた。
今は分かる
落ち込んでしまっても、時々は意図して頭を上に起こし、
周りを見回す余裕を持たなければ
いけないなぁって
さて、
新築だった家も、30年ちょっと経つともう立派な中古物件(😅)
その家のキッチンのリフォームが、昨日やっと終わった。
新しくなったキッチン。
料理は食べるのも作るのも大好きなので❤️
やっとワクワクしてきました