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cherusi-kitchenの日記

日々の生活に流されて、美しいもの感動したものを忘れ去る自分の為に書き留めておこうと始めました。その時々の季節の移り変わり、また自分の心の移り変わりも書き留めたいと思っていますf:id:cherusi-kitchen:20160309033342j:plain

農業用水路

  最近、シュワの散歩も近場ばかりでちょっとサボっていました。でも今日は以前よく行った用水路に沿って久しぶりにお散歩しました。

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 この用水路は200年近く前に西村彦左衛門という人が、ほぼ自分の私財を投じて作ったとされる農業用水路です。子どもの頃はこんなに整備がされていなくて、用水も所々土で固められ土手も草が生い茂っていたのを覚えています。農繁期は水がごうごうと流れ、祖父から「絶対に近寄ってはアカンぞー!」と何度も言い聞かされた場所です。

 家の周りでは当たり前のように用水が流れ、当たり前のように田んぼが作られ、当たり前のようにどこでも米は出来ると信じていました。

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大人になっても「米作りは面倒」「田んぼがあるから仕方がなく作ってる」「買ってきた方が楽で安い」などと皆がいうように私もそう思っていました。それが、、、

1年前、この西村彦左衛門さんの用水路を題材にしたお芝居に参加をしてから、私の考えはがらりと変わってしまったのです。

 水がないばかりに土地はあっても米作りが出来ない。どこの村々も芋やアワ、キビを食べ米なんて口にも出来ない貧乏村。大きな川は土地より低い場所を流れているため水はあっても田んぼに引けない‥等。

 無理だと渋る庄屋を説得し、それを当時の紀州藩に直訴しやっと作る許可が下りても想像以上の難工事で資金も不足。

 実はそのお芝居の練習中に彦左衛門さんの生家からおびただしい数の借金の証文が出てきたのです。今でいうと億単位の借金です。

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(”わしらの村に水が来た!”のリハーサル風景)

この時期にこんな証文が出てくるとは思っていなかったので不思議な気持ちがしました。

 今から約200年前にこの農業用水は全長30㎞、9年の歳月をかけて作られたものです。所々岩盤が固くて手掘りのトンネルはなかなか進まず、当時はノミと金槌の工事で”岩を一升分掘ったら米を一升分与える”「岩一升、米一升」という言葉が残されています。それ程難工事だったようです。

当時のままの様子が残っているトンネルがまだ残っています。その一部を紹介します。

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 【毎年大人気の用水ボート下りに初めて乗りました。船頭さん(ヘルメットの子)は地元中学生のボランティア、、、4~500m位の距離でしょうか】

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【手掘りのトンネルに入るところ】

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【左側は昔の奈良時代の水銀窟。ライトアップはこの時だけ(笑)】

 お芝居とその後の「用水ボート下り」に乗り、今までのおごった私の考えは吹っ飛びました。米は当たり前にできるんじゃないって。きっと日本中の米作り地域では大なり小なり、昔から大きな努力や犠牲があったのではないかなぁって思います。私が守るっていうほどの力も根性もないけど、歴史を知っているのと知らないのとでは感謝が違いますからね。

※余談ですが、このお芝居を地元の小学校(3年~6年)でも上演したのです。3年生はさすが解らないだろうから途中できっとざわつくかもしれないと覚悟して。そうしたらどうでしょう、休憩なしの2時間弱の芝居に、誰も立ち歩いたりおしゃべりは無かったのです。最後まで静かに観てくれました。ホント嬉しかったですねぇ。